日記を書いたのに

 昨夜たいそう久しぶりに睡眠薬を飲んでこのブログを書いていた。良くないことなのはわかっているがわたしにとってゾルピデムというのは記憶を飛ばせる娯楽で、しかし医師もそんなわたしの意図に薄々勘づいているのかもう何年も出してもらえなくなっている。なので残り4錠になったそれを虎の子のように抱えて生きていたのだが、ここのところ自業自得の理由でメンタルがガタガタになっており、変な時間に寝てしまったり異様に長時間寝てしまったりで睡眠リズムが崩れに崩れていて、眠らなければならない時間にすぐに眠れそうもないから仕方がないなあと言い訳しながら昨日はついに数年ぶりのゾルピデムを口にしたのだった。

 

 そしてブログを書いたはずなのだ。だが残念ながら薬が効きすぎて書いている途中で保存もせずにこと切れてしまったらしく、ネットスーパーの注文もニラを3束だけ頼んで終わっていた。書いた覚えのない自分の文章が翌朝起きたら存在しているというのは大変に愉快で、もはやそれを最大の愉しみとして睡眠薬を飲んだと言っても過言ではないのに。

 

 二日連続で残り少なくなった睡眠導入剤を減らす勇気はなく、今夜はリーゼを10mg飲んだ状態でこれを書いている。クロチアゼパムはゾルピデムとちがいまったく記憶が飛ばないため、このリーゼには何の意味もない。日々重めの不安を抱えているわたしの眉間の皺を薄くする効果くらいはひょっとしたらあるかもしれない。というか本来はそのような目的にのみ使われるべき薬であり、娯楽で使われるべきではない。わかってはいるのだが、これまでオーバードーズのひとつも起こさず、手元に在庫があれば無駄に追加の薬ももらうことなく、模範囚的に精神科と付き合ってきたわたしにそれくらいの愉しみを許してはもらえないだろうか。

 

 記憶が飛ぶような気配はなく気絶するように意識を失う予兆もなく、ただただ少しずつの眠気を重ねていくリーゼは極めて穏当にわたしを寝かせようとする。暴力的に眠らせる数多の睡眠導入剤より優しい、良い薬だと思う。だいたい理性的な知性のある動物にとり「記憶を飛ばす」などという作用は最悪の類だ。最悪なのに手放すことができない。

 

 しかし考えてみれば眠らせるくらいの作用があるなら記憶を飛ばすくらい当然のようにも思えるし、本当に怖いのは「記憶を飛ばさないのに眠気がやってくる」のほうかもしれない。記憶を司る部分と眠気を感じさせる部分は一致しておらず、ゾルピデムは両方に効くしクロチアゼパムは記憶のほうには効かないということなのだろうけど、眠りというのは疑似的な死の体験であり、たとえば死にかけるような事故を体験したとして普通はその事故のこと自体は覚えていないだろうという気がする。なんとなく「死の直前まで記憶がはっきりしている」ほうが動物としては不自然で怖い。